ありのままの自分を受け入れること

 心理学の本を読んだ。最近自分の気持ちが分からなくなっていたからだ。学校に行っても人に会いたくない。人と話すことがあっても本音を出すことがない。そうゆう自分ってなんだろうと思った。この本によれば相手に対する恐れから自分の気持ちを抑えるのは情緒的未成熟なのだという。そういえば人と関わるとき表面的な会話だけして時間が過ぎるのをやり過ごしていた。いつものことだから自分がなぜそう振る舞うのか気にしていなかった。しかしよく考えれば、これは弱い人間であることを心の底では知りながらそれを意識したくないという心理だと気付いた。

 

 

 客観的に自分がどんな人間なのか考えてみた。学校は欠席ばかりで成績は最下位、オドオドした様子で人を避ける傾向、時間にルーズで約束は守らない。次々にネガティブな欠点が浮かんでくる。同じ特徴をもった人が目の前に現れたら碌な人間だと思わないだろう。今まで意識のうちでは自分を信頼のおける真面目な人間だと見ていた。と言うよりも良い面のみを見ることで、そうでない自分の一面を隠してみないようにしていたと思う。もし自分のだらしない部分を意識し出したら自己否定繰り返すはめになるからだ。この社会で生きていくには自分が抱える欠点は致命的だ。誰からも信頼されないだろう。自分でもそれを自覚している。だからありのままの自分を覆い隠して社会人としてあるべき姿になろうと振る舞ってきたのだろう。しかし自分が目指している姿と実際の自分がずれていると言う真実はいつまでも覆い隠すことができない。真実はいずれ明らかになるのである。

 

 

 自分がこれから先どう生きていけばいいかは分からない。でも大切なことは自分に欠点があっても目を背けたりせず受け入れることだと思う。自分の良い面しか見ないことは強気でいられるかも知れないがいつか綻びが出てくる。ありのままの自分を受け入れることは現実と自意識の間に乖離が起きづらいことに繋がる。そうなって初めて恐れなく人と交われるのである。そして自分自身を理解できればそこからどう生きていけばいいかと言うアイデアを膨らませられるはずである。